【千葉県】旅は、千葉県九十九里海岸の北端に位置する蓮沼海岸をスタートした。景色は、まだ穏やかで、普段は見落としてしまいそうな元禄大地震時の津波到達高の表示が今は目に入ってくる。取り片づけられた瓦礫が生々しい。旭市に入ると家が間引きで櫛の歯が抜けるように無くなっているのに気づいた。何故かと言うと、残った家には傷さえ見つからないのだ。海側を見てみると堤防と波消しブロックがあるのだが、被災した家と無傷の家との位置関係が判然としない。堤防や波消しブロックのすぐ前の家が無くなっていたり、堤防も何もない家が無傷だったりするためで、防災にとっては研究の価値があるのではないかと思われた。堤防や波消しブロックからは想像できない津波の進行方向があったのであろう。科学者の皆さんに研究していただきたいものである。屛風ヶ浦は海抜のある道を行くしかなかったので津波の痕跡も地震の痕跡も見られない。犬吠埼は地震の影響か津波のダメージか目には見ないけれども亀裂でも入ってのか立ち入り禁止の個所がテープで隔離されていた。銚子大橋を渡り茨城県に入る。

【茨城県】大洗港では、海水浴場が瓦礫で一杯になっていた。鹿島港では、津波で打ち上げられたと思われる小型船舶が散見される。鹿島工業地帯は、埋め立てのせいか道路が洗濯板のように畝って地震波を記録したようだ。千葉県の浦安のような液状化とは違い緩やかな液状化が発生したのだろうか?建物の傾きとかは感じられない。東海村を通過した時は少々緊張したが別に何らの問題や異常はみられなかった。茨城は海抜の高いところを道が走っているので津波の被害をあまり目にすることはできなかった。ただし、多くのドライブインが休業しておりライフラインのダメージを思わせた。

【福島県】やがて福島県に入ると原発事故の影響で海岸線を行くことができなくなり、第二原発の手前を内陸に避難区域を迂回することとなった。避難区域を車窓に眺めて進むのだけれど、人の気配が感じられないという恐ろしい経験をした。どのように、説明すれば分かってもらえるのだろうか?音が無い・・静か・・と言うようなものでは無い。人の呼吸が伝わってこない・人が吐き出す二酸化炭素の臭いがしない恐ろしさと言っても分かってもらえないと思う。この旅は高速道路などを使用しないでなるべく海に近い道を走ることを一つの目的としたので、カーナビを多用した。しかし、災害のために通行止めや迂回道が指示されることは、日常茶飯事であった。この時、ホンダ車のカーナビの軌跡がWebに公表されていて非常に役に立った。当時は、ビッグデータなどという言葉はなかったが、インターネットで検索すればある程度、行動の予定が立てられたのはありがたかった。福島のホテルで明日の走行予定を予習する。福島は、ほぼ内陸を走り、相馬に出て災害の大きさを目のあたりにした。恐らく迂回してきた海岸に近い場所、とりわけ原子力発電所の近郊の被害は相当なものであろうことは想像するに寒気がする。相馬では、窃盗団と出くわした。自動販売機のお金の箱(入金をためる・釣銭を入れておく)が販売機を切断して取り出されたものが沢山転がっていた。また、地震や津波で倒壊した家は全く無防備でやりたほうだいという感じだった。怪しい一団と遭遇した時は、生命の危険を感じ、カメラを隠した。彼らは、日本語でない言葉を話していた。ここでは、防災を考える時には防犯も考える必要があることを学んだ。ある地域では、消防団が地域の主要道路を閉鎖して防犯の任に着いていた。大変心強い限りである。

【宮城県】宮城県に入ると被害は一段と大きくなった。福島県は内陸を走ったので被害状況が確認できていなかったことが解かるのは避難が解除されてからのことである。宮城県の津波被害の特徴は、平野を行く津波の映像そのもので、宅地以外は農業用地であるため津波にとって障害物が少ないためかかなり内陸まで津波が到達している点である。農業施設の被害が大きく農家の方は再建が大変だったと思う。また、津波は海水のため塩害が長く尾を引いたようで戦い抜いた皆様のご苦労がしのばれる。宮城県では東松山市、特に仙台空港の近辺の被災状況が今でもフラッシュバックしてくる。飛行場は形を残していたが周りは何も残っていないというようなひどい状態であった。釜石、気仙沼などの漁港の被害も物凄い。特記すべきは、気仙沼の津波火災であろう。津波と火災がどうにも結びつかないでいたが津波で流された自動車などのガソリンに電気系統からの発熱で火がつき海上を漂う瓦礫などに燃え移って広がったらしい。船や自動車は勿論、陸上の建物や施設にも延焼して行ったようだ。熱の凄まじさが燃え残った建物内部や道に積み上げられた瓦礫、横断歩道などあらゆるところに痕跡が広がっている。被災された方は、本当に恐ろしい思いをされたと思う。津波火災にどう備えるかを考えておかねばならぬ。気仙沼のフェリー乗り場に乗り入れた時、足元からガタガタと変な音がするので静かに走ってみたら足元の敷石が跳ねているのである。恐らく、敷石は海中に打たれた支柱の上に敷かれているのだろう。支柱が地震か津波の影響で凸凹になったに相違ない。ゆっくりバックして事なきを得た。この旅で、一二を争う危険であった。海が見えない・・でも、被害は津波。津波の猛威と破壊力は、恐ろしい。これが平野の津波なのだ。

【岩手県】岩手県に入ると被災の状況は一変した。岩手県の海岸線はリアス式であり、海まで山が迫っていて扇状地に地域の皆様の生活基盤がある。北上していると、リアス式海岸を縦走する形になるのでアップダウンの繰り返しとなる。上から見る扇状地は壊滅状態でありこの世に地獄が出現したような状態である。全てが瓦礫と化し、言葉も出ない。リアスの津波はV路の地形に沿って遡上したり川に押し寄せたりした。宮城県とは違った内陸への侵入の仕方をしている。岩手県の道には、津波の到達地点の標識(古い物は石に刻まれたものもある)が無数に並んでいて昔の人がじっとこちらをうかがっているような気がする。ある扇状地に降りて、そこで夜となった。初めて?気付いたのだが暗い。電線が切れているので灯火がない。信号もついていない。このような闇は生まれて初めてである。このような状態で余震でもあったら被災した皆さんはどう行動するのだろうかと考えると、固まってしまう。ホテルは内陸を基本としていたので盛岡まで走らなければならない。ここで第二の危機が発生した。電気が無い夜道、それも山道をヘッドライトだけを頼りに進むのだが、行交う車もなく時間だけが経過して行く。・・いくら何でも遠すぎるのではないかと疑い、ヘッドライトに移る景色を記憶し始めたら、一時間くらい経ったら見覚えのある?景色に遭遇した。それから間もなく、自分が完全ループにいることを自覚した。ガソリンを使い果たしていたら遭難という二文字が現実になるところであった。ようやくの思いで盛岡に着くと、ホテル探し。しかし、見付からない・・遅いせいもあるが、被災された皆さんが休まれているのかもしれないと・・諦めた時、事実が分かって愕然とした。泊り客は全て東京の報道関係者だというのである。これが、この旅で一番腹が立った思い出となった。

【青森県】岩手県から青森県の海岸線は、風光明媚な観光地が多い。海岸線を走っていると穏やかな海に被災地を巡っていることをわすれてしまいそうである。しかし、蕪島を過ぎてから、津波の傷跡が目立ってきた。今回のたびの終着点は青森県八戸である。八戸の海岸線も津波の爪痕が生生しい。八戸の市街地は内陸で津波の被害は感じられない。

【後記】この旅では、多くの地域の皆様にお世話になりました。また、元気をいただきました。人は、強いものですねーと、歌の歌詞にでも出てきそうな言葉ですが、被災地の皆様は本当に強い方々ばかりでした。都会のもやしっ子と違い、東北のきびしい自然の中を命を紡いできた先輩方のDNAを受け継いでいました。東北6県の魂を見せていただきました。ありごとうございました。あれから、もう10年ですが、私が死ぬまで伺わせていただきます。皆さんの心の中には犠牲になられた皆さんが息づいているはずです。皆さんに会いに行きますので、長生きして下さい。

【防災関係者へ】災害を防ぐことは出来ないと思います。しかし、防災と減災は可能です。防災・減災を研究されている皆様、皆さんは科学者ですからデータに基づいて物事を考え・分析し・結論を得ていると思います。今回の旅で、一つ感じたことがあります。皆さんの研究の根本であるデータです。皆さんのデータはデジタルデータではありませんか?私は、アナログデータが重要な意味を持つと考えるようになりました。被害の大きさを犠牲者の数や被害資産の数、経済的指数などで見ても、全ての事象が把握できないという事を・・それより、被災地で被害の状況を見ていてだく事で、優秀な皆さんの頭脳は何かをはじき出すのではないかと。例えば、千葉県の被害の中でお話をした津波で被災した家と無傷な家の立地条件を調べることにより何らかの防災の手当てが見つかるかもしれないとー。例えば、宮城県の津波の被害と岩手県のそれの違いは、画一的な防災ではカバーできない事を。私の意見にははっきり説明できるだけの根拠はありませんが・・一度、現場を見ていただき明晰な頭脳を駆使していただけると嬉しいのですが・・

【ギャラリーの写真について】

写真が順不同になっていて申し訳ございません。車載のGPSロガーとカメラの時刻の設定に差があり補整しながら整理したのですが・・カメラ3台を交互に使いまわしたためと3回の取材が完全に同じルートにはならなかったために撮影場所の特定に苦労しました。特定できない場合には県で示してありますが、正しいかどうか疑わしいものもあります。もし、ご覧いただいて場所が間違っていたり、特定できるようでしたらお知らせいただけると嬉しいです。よろしくお願い申し上げます。ギャラリー公開中に更新させていただきます。